瞳の休憩室「Rest eye」

推理作家の有栖川有栖が、独自の視点でミステリーや日々の感性をつづります。

第四回 成語のおかしさ

〈灯台下暗し〉。

この成語(ことわざ・慣用句)を知ったのは、小学生の頃。何歳だったか覚えていないが、頭の中に映像が浮かんだ。夜空の下にすっくとそびえる白亜の灯台が、まばゆい光を放っている。海を行く船にとっては頼もしい標(しるべ)だ。光は遠い海面を明るく照らしている。が、根元には届かないため、灯台に近づけば近づくほど闇が深い……。

実はこのイメージは誤りである。かなり後になって知ったのだけれど、灯台といってもここでいうそれは潮岬や犬吠埼に建っているライトハウスではなく、蝋燭などの明かりを立てる台を指しているのだ。
「あ、自分も思い違いしていた」というご同輩がいらっしゃるのではないか。〈灯台〉と聞いたらライトハウスを連想するのが自然だろう。

ことわざや慣用句は、イメージを喚起する力が強い。イメージ喚起力が強いからことわざや慣用句になったのだ。そのため、鮮やかなイメージを頭の中で描ける。子供の頃は特にそうだ。

たとえば、〈虎穴に入らずんば虎子を得ず〉。
望むものを手に入れようとしたら、それなりのリスクを冒さなくてはならない、という意味。コケツとコジが何か判れば、子供でも理解できる言葉だ。小学生の私は、自分が虎のすみかに忍び寄る情景をリアルに想像した。
胸をどきどきさせながら。
――虎穴に入らずんば虎子を得ず。危ないけれど、虎の子供を生け捕りにするためには、こうするしかない。親は餌を探しに行ったばっかりやから、しばらくは大丈夫のはず。けれど、忘れものをして引き返してくるかもしれんから注意せんと。虎の忘れ物って、何かな? とにかく慎重に。あ、ガサッという音がしたぞ。もしかしたら……風か。さあ、早く仕事をすませてしまおう。怖いなあ。それにしても俺、なんで虎の子供なんかさらおうとしてるんやろう?

こんな調子だ。〈猿も木から落ちる〉〈河童の川流れ〉〈弘法も筆の誤り〉。すべてその場面をありありと想像した。
〈すべての道はローマに通じる〉。ローマは道だらけである。
〈船頭多くして船山に登る〉。そうやなぁ。船底をバリバリと擦りながら……って、登るか!
〈江戸の敵を長崎で討つ〉。頭の中で時代劇が始まる。
〈二階から目薬〉。これは解説されるまで意味が判らなかった。聞いてみると、そのまんま。二階から下にいる人に目薬をさしてあげようとしても難しい。うまくいかないことの例えだと知って納得したが……何故わざわざ二階から目薬を?

さて、台風シーズンである。台風といえば、子供時代に心にひっかかった言葉がある。〈台風の目〉というやつだ。小学校の先生が教えてくれた。
「台風には、風が吹き出す中心があって、それを〈目〉と言う。別に大きな目玉があるわけやないぞ」

そう言われても、〈台風の目〉なんて聞いたら巨大な目玉を想像してしまうではないか。目玉を連想させたくなかったら別の呼び名にしてもらいたいものだ。
〈台風の目〉は気象用語だが、慣用表現として「最も重要で目立つポジション」や「華々しい事件・ムーヴメントの中心人物」といった意味にも使われる。が、実際の台風の中心ではぴたりと風雨がやむのだ。
「有栖川さんは、ミステリブームの 〈台風の目〉ですね」
と言われたら、どうしよう? 褒められているのか貶されているのか判断に迷う。まあ、言われることはないからいいんですけれどね。

推理作家・有栖川有栖のプロフィール