瞳の休憩室「Rest eye」

推理作家の有栖川有栖が、独自の視点でミステリーや日々の感性をつづります。

第三回 むふふな気分

シャーロック・ホームズは、事件の依頼人と対面するなり、彼もしくは彼女の職業が何で、どこからやってきたかを推理し、ずばり言い当てるのを得意としていた。依頼人は「どうして判ったんですか?」といきなり驚かされ、ホームズへの信頼をたちまち深める。いやぁ、名探偵は商売もうまいですね。

ホームズの相棒は、医師のワトソン博士。二人は、アパートをルームシェアする相手として出会うのだが、初めてワトソンが発した記念すべき言葉は何だったか? 読んでいない方も、読んだが覚えていない方も、想像がつくはずだ。それは――
「どうして判ったんですか?」

ワトソンは軍医として戦地に赴き、そこで負傷して帰国したらしいことから、それほど危険なところはどこかと考えた末、ホームズは「アフガニスタンに行っていましたね?」と言ったのだ。それが的中していたからワトソンはびっくり、というわけだ。

名探偵たるもの、周囲の人間からこの言葉を言われ続けなくてはならない。「どうして判ったんですか?」と言われるたびに、さぞや内心いい気分なのだろう。むふふ、むふと笑っているかもしれない。

先日、自宅にて。

妻が、あれこれ家事をしていた。忙しいそうである。その手がちょっと止まった時に、私はこう訊いた。
「これから花に水をやるんやね?」

妻は愕然とし、即座に問い返してきた。
「なんで判ったん!?」

まるで心の中を読まれたように感じたらしいが、私は超能力者でも名探偵でもない。種明かしをするのも馬鹿らしいことで、空のペットボトルに水が満たされていたのを見て判ったにすぎない。妻は、いつも花に水をやる時にそうしていたから、判って当然だったのだ。

似たようなことを、漫画家の喜国雅彦・国樹由香夫妻から聞いた。二人で車に乗っていた時、喜国さんが不意に言った。
「今、うどんが食べたい、と思ったでしょ?」
「どうして判ったの!?」

これまた何の不思議もない。国樹さんの視線が、うどん屋のディスプレイ(湯気を上げる大きな丼)にじっと注がれていたので、喜国さんは「ははあ、さては」と見当がついたのだそうだ。

どちらの例も「なーんだ」という話で、名探偵の推理からはほど遠い。現実はこんなものだ。しかし、私も喜国さんも、相方に「どうして判ったの!?」と言わせることで、むふふと喜べたのである。

ホームズは、作家コナン・ドイルが創造した架空のヒーローだが、モデルが存在する。ドイルがエディンバラ大学の医学生だった頃、恩師にジョゼフ・ベル博士という人がいて、患者の職業などを言い当てることができたという。それは鋭い観察の賜物であり、博士は「医者はこうでなくてはならない」と教えていたのだとか。

大村益次郎の半生を描いた司馬遼太郎の『花神』を読んでいたら、やはりそんな医者が登場した。観察と直観と推理。医者には大事なことらしい。

ベル博士は愉快な人で、他にもこんなエピソードが伝わっている。劇薬の入ったガラス瓶を取り出して、学生たちに「君たちの観察力を試す。匂いや味によってこれを化学分析せよ」と言った。が、劇薬をなめるなんてできない。博士は「では、私が味見をする」と言って指を突っ込んだ。そして、指をぺろり。

はっとする学生たちに、博士は教えを垂れた。
「瓶に入れたのは人差し指。なめたのは中指だ。諸君は観察力が足りない」

言いながら、むふふ、と思ったことだろう。

推理作家・有栖川有栖のプロフィール